TECCの帰りに買った日経にリービ英雄氏の書いた記事が載ってたのを読んで
そういえば、むかし初めて氏の名前を眼にしたのは,「リービ英雄の書く英語は
手本になると松本安弘が」書いてたのか、「リービ英雄の書く日本語は手本になると
井上ひさしが」書いてたのだったか思い出せなく,書棚をあたってみたら
松本安弘が「日本人カズオ・イシグロの書く英語は日本人の英文とはとうてい思われない
(ネーティブなみ)」及び「米国人リービ英雄の書く日本語は米国人の書いた日本語と思う
人はいないであろう(同上)」だった。15年前の読了で私の頭はボケてますかな?
とまれ今回リービ英雄の書くその日本語の文章を読んで「う~ん」と唸りました。
日本の心に入り込んでいて、また日本語と外国語の視点の揺らぎにも触れてます。
ここで私らしく(^^;話は少し脱線しますが、私がいままで読んできた日本語
の文で最も手本としたく思っているのは,『中国レポート』を書いた有吉佐和子の
文章です(私は持ってるけどこの文庫なぜか絶版で、いまの時代に出版したら売れる
だろうにと)。ぁ、私の手本というのは内容ではなく日本語の文章の書き方です。
(脱線ついでに{タモリ?サンマ?と喧嘩した?}有吉女史のタイプは個人的には好きじゃない)
話を戻すと,その前の先日もルース・ベネディクトの『菊と刀』の英文リーダーを見つけて
買ってしまいました。これはむかし訳本が社会思想社の現代教養文庫で出てた
(けど会社が潰れ最近別な文庫が再発してる)のをやはり15年程前に読了してて
日本へ1度も来たことがない女史なのに日本人と西欧人のあらゆる差異を見事に
言いあて日本の精神文化をそれも(情報など限られてた)昭和20年代後半の研究
だったことに感銘した憶えがありました。
この本を知ったのは、前の前の会社の上司(いまは社長)が紹介してたのですが
私が20年来カフェ勉してる喫茶店で、以前あるオバちゃんが「『菊と刀』っていう
本はとても素晴らしいわよ」とその内容を友達オバさんにお喋りしてるのを聞き
「(私も読んだことあります!と話し掛けたい衝動を抑え乍ら)この本を読み通し
その価値が解るそれもオバちゃんが八戸に居るなんて!」と驚いたのも想い出した。
私が中国語やフランス語(や英語も)を学習してるのはこの辺りにあるんだなぁと…。